今日は母の命日。
今日は、母の命日。
亡くなって8年になる。
約10年間の介護の時間があった。
私は、お母さん子で、ケンカもするけど、仲の良い親子だったと思っている。
私が15歳の時に、父が他界したのでそれからは、母と二人暮らし。
母は、私の支えで、頼りの人だった。
私が若く、母がまだ元気な頃は
母が死んでしまったら、私は、きっと精神的におかしくなってしまう。
と、思うくらいに、それは、私にとって恐怖なことだった。
そして、母は認知症に。
母77歳、私47歳。
母の介護の間
様々なことがあった。
母を思い、母を考え、自分をみつめた。
やがて、私は
介護の毎日のなかで
母と私(母と私の苦しみ)は、母の死をもってしか解放されない。と、実感した。
だからって、母の死を望んだわけではなく、
母は、寝たきりになっても、相変わらず
私の心の拠り所だった。
でも、もう、母の死は、『私の最大の恐怖』ではなくなっていた。
母が認知症になり、私と母は、母の症状が進むにつれ、実質的には少しずつお別れを重ねていたように思う。
少しずつのお別れは、母との心のやり取りを行いながら(介護の毎日で)、充分な時間をかけることができたと思っている。
その時間は、私の不安や恐怖を払拭してくれ、うまく言えないのだけれど、母が私にたくさんの愛情を注いでくれたことの再確認になった。
理屈ではなく、心の底で、ほんとうに実感することが出来た。
そして、私の様々な不安は、母への感謝の気持ちへ変化していった。
介護の時間は、母が最後に私に与えてくれたものだったのだと思う。
母の死が、不安や恐怖や哀しみだけで終わらないようにと、母が身をもって伝えてくれたのだと思っている。