64歳の頃の母を思う
私は、今、64歳。
ふと、母は、64歳の頃、どんなふうだったかしらと思いを馳せた。
母は、64歳で、私たち家族との同居を決めたのだ。
私たちが、家を購入しようということになり
母に声をかけたのがきっかけだった。
同居するなら、それなりの広さがあるところを考えようと思っていた。
母は、
いずれ世話になるだろうから、一緒に暮らしたほうがいいように思う。
借家暮らしだったので、家賃が発生しないのも助かる。
私たちへの、家事や孫の面倒など、応援が出来る。
等々を考えたようだ。
母は、64歳で、様々なことを考えて、それからの人生を決めたのだ。
マンションの一部屋を母の部屋とした。
私たちがお願いしたわけではないけれど、マンション購入にあたって、少しまとまったお金を出してくれた。
その方が、気兼ねなく暮らせるからと。
そして、月々の生活費として、5万円を私たちに渡してくれた。
母には、家事、子供たちの面倒など、お返しのしようがないくらいに、世話になった。
母は、64歳からの日々を、私たち家族に尽くしてくれた。
究極に言うと、たぶん私に尽くしてくれたのだと思う。
…なんだか、胸がいっぱいになってきました。
母は、64歳で、潔く人生を決めていて
比べる必要なんてないのだけど
64歳の今、私は、その頃の母には、かなわないなと思ってしまう。
でも、これからの人生の大きな局面では
私も、母の血を引いているから
バシッと何かを決心するような気もしているのだ。