ちょっと遠くに住む、娘夫婦から、地元の果物、野菜が送られてきました。
嬉しいことです。
みずみずしくて美味しかった!
この夏、コロナ感染が拡大したので、娘たちと会うのは、止めにしました。
孫も3カ月になった頃。
娘は、育児に奮闘中です。
「頑張れー!」と、毎日、エールを送っています。
ちょっと遠くに住む、娘夫婦から、地元の果物、野菜が送られてきました。
嬉しいことです。
みずみずしくて美味しかった!
この夏、コロナ感染が拡大したので、娘たちと会うのは、止めにしました。
孫も3カ月になった頃。
娘は、育児に奮闘中です。
「頑張れー!」と、毎日、エールを送っています。
コロナ禍で、夫は、在宅ワーク中です。
広くはないマンションの一室を仕事場にしています。
私は、仕事を辞めて、主婦をしているので、
夫とは、1日中ずっと一緒にいます。
以前は、夫は会社通勤でしたから、私は、仕事が休みのときは、家での独りの時間を満喫していました。
誰もいない、独りの時間はすごく大切。
解放感と、自由な感じが、疲れを癒してくれます。
夫とは、よく小さなケンカ(一方的に私がブーブー言う)をするけれど、まあまあ仲良しな
かな。
だけど。
私は、突然、「今日は、ちょっと出かけます」なんて言って、時々、独りで外出して、カフェでお茶するんです。
そうすると、やとぱり、ものすごーく癒されるんですよね。
これからも大事にしようっと、独り時間♪
母の病状は、どんどん進みました。
私の職場に、突然、だらしない服装でやってきたり、警察から、近所のお店から、様子がおかしいと、母のことで職場に電話がくるようになりました。
有り難いことに、家族は、私や母に対して、協力的でした。
ですが、これ以上の負担を家族にかけられないと思いました。働きながら母をみるのは、限界でした。私は、仕事を辞めました。
認知症は、心身ともに母を蝕み、介護開始から2年目には、要介護5になり、母は、生活の全てに介助が必要となりました。
食事、排泄、着替えや歯磨き…。
くる日もくる日も、母の世話に追われました。
デイサービス、ショートステイ、訪問診療、
最後の3年間は、特養ホームに入所しました。
医師、介護士、ケアマネ…、本当に多くの人に助けてもらいました。
皆さんに、感謝、感謝です!
介護後半では、母の問題行動は無くなりましたが、同時に、私を娘だという認識も無くなりました。
ですが、私も、その頃には母が穏やかであれば、それだけで良いという心境になっていました。
時々みせてくれる、母の無邪気な笑顔や澄んだ瞳を、何度も愛おしいと感じたものです。
母の介護を通して、幾度も、母の人生の軌跡を辿ったように思います。
母と、話しこそできませんでしたが、介護を通して、母との関わりをたくさん持つことができました。
母の介護も終わりに近づいたある日、母のオムツを換えていると、ふいに、私は、『母からとても大切にしてもらった』ということを、心のすごく深いところで実感することができました。
しっかりと、母からのメッセージを受け取ることができたと思っています。
母からの最高のプレゼントでした。